円環の廃墟

"and the neverrun,"



一人の男が脳内彼女を作り出す。男の想像力は精緻で強靭である。髪の1本、静脈の1つに至るまで想像し、そのすべてが正しい生態のリズムを持って連動する。

最初の微笑みに至るまで、男は何度も想像を巻き戻し、不自然な点を修正する。まつげ一本であっても、重力や大気に対して不自然な動きをしてはならない。

やがて、思いもかけず彼女は誕生する。

目を開き、男を認識する瞬間までに数え切れぬほど設けられた検問をすり抜け、彼女は彼に向かって微笑みかける。

知らぬうちに機は熟していたのである。

幸せな脳内日々が続いた。しかし永遠は存在せず、独立した完全な自我を持って彼の中に生まれた脳内彼女は、やがて脳内浮気をして脳内間男を作り、彼の元を去る。

彼はひどく落ち込み、前もって作っておいた脳内友人の慰めを受ける。

彼女なんてまた作ればいいさ。

そう励まされ、男は新しい脳内彼女の作成にかかる。

長い苦難の果てに、新しい彼女は出来上がる。前の彼女とは似ていないが、目元に面影がないでもない。人格はその個人に帰属し彼の支配できるものではないが、浮気をしないタイプではある。

新しい彼女はOLである。前の彼女は大学生であった。週末や仕事帰りに暇を見つけて、二人は時間を重ねる。いつかふたりは結婚をするのだろうか、などと男はぼんやりと考える。

しかし彼女は男の中で独立した完全な自我と生活を持っており、転勤を命じられて遠くに行ってしまう。

次第に疎遠になり、電話をしても話すことがなくなっていく。そのうちに、他に好きな男ができたことを告げられる。なるほど、浮気をしたわけではないな、と男は納得しながら、別れ話にあいづちをうつ。その後、完全に独立した生活と自我を持つ彼女がどうなったのか、神ならぬ身の彼には知りようはない。

男は攻め方を変えることにする。はじめに大草原の小さな家を想像する。

その家に彼は、脳内小さな娘と2人で暮らすことにする。

この閉鎖空間で邪魔者の入る心配なく2人の絆を深め、いつか子どものころに言っていた「大きくなったら、お父さんと結婚する」が現実となってしまうのだ。血は繋がっていないから問題はない。

それはまた、別な意味で幸福な日々といえた。頼られることの、頼ることすら思い浮かばずにいる者に手を差し伸べることの喜びを彼は知った。

別にこのまま秘密は明かすこともなく、ずっと父と子でもよいのではないだろうか。彼女は健やかに気立てよく育ってくれた。今さら孤児であったことを明かして不要な悲しみを与えたり、関係の変容を迫る必要がどこにあろうか。

娘が15歳の夏のことだった。野いちごを摘みに行った彼女の帰りがやけにおそかった。夏至に近い日付だというのに、真っ暗になっても音沙汰がなかった。

男は猟銃を手に夜の森へ乗り込む。夜が白み始める頃に、男は娘が一段低いところに倒れているのを見つける。蛇に噛まれたようだ。男は青白いという言葉が人の肌に対して用いられるとき、その色合いが緑に近いものであることをはじめて知る。

意識はない。最も近い病院まで、車でも3時間はかかる。

手遅れだった。娘を抱きかかえて医者に引き渡したとき、医者は実に微妙な顔をしていた。あの時点ですでに、脈がなかったのではないか。確かめることを恐れていたが、そのようなことを思い浮かぶということ自体、服を通して伝わるはずの微かな脈拍がないことを無意識が感じ取った結果であるのか知れない。

彼は徹底的に自分を責める。こんな山奥に住まなければ。隔離空間などもう必要なかったではないか。親子であろうと考え始めたときに、引っ越していればよかったのだ。

絶望して彼は脳内自殺を図るが、寸でのところで止められる。髭もじゃで白髪の、小柄な老人である。老人は彼は男の悩みをよく聞いて心を落ち着かせ、次第に神秘的な教えを説き始める。

いわく、本質において人は神である。世界は神によって見られた夢であり、我々は神の記憶、ないしは夢想に過ぎない。このことを実感として知ることができれば、孤独も悩みも存在しないことが分かる。この世のすべての幸福と不幸は自分のものであり、他に比べるものなど存在しないからである。異性を求めても人は一人の人間とひとつになれるだけであるが、神を求めれば人はすべての人間と一つになれる。

老人は彼の主催する集まりへの参加を誘う。彼と同じように現実に悩みを抱える人々が、よりよく生き、互いに向上させるための共同体との説明だった。この男は脳内教祖である。

男はひとまず集まりに顔を出してみる。救いを求めていたわけではない。ただ、彼にはもはや指針とすべき何事も失われており、何事にも積極的である理由も拒否する理由もなかったからだ。ひとりでいると、亡くなった娘のことを思い出してしまう。そうした無意識の打算もあるにはあった。

教団では全員が白いワンピース状の服を着ており、農業や製本などの生産的な作業を行っていた。一様に、身なりは清潔である。一心不乱に数時間も火に向かって祈り続けるような狂信的な組織を想像していたので、やや拍子抜けだった。閉塞感は微塵もなく、人びとは健全である。教義は極めて複雑であり、また本のみによって理解しうるようなものではなく、全生活を通して、一生をかけて理解していくものであるという。そのため生活は必須であり、教団を離れて社会へ復帰することも推奨されている。その全貌を理解しえた者は数えるほどしかおらず、たいていの信者はその一部を理解して教団を卒業するか、あるいは一生を終える。にもかかわらず、そこに示されている豊穣で価値ある教えは、その一生を確実に豊かなものとするのだという。

家財一切を整理して、男はこの男の元に入信することにする。

彼はスーツケースひとつのみを持って教団へとやってきた。中身は娘に関するものである。彼はこれらの品を持っているべきか捨てるべきかを教祖に尋ねる。

教祖はこう答える。捨ててもよいし、捨てなくてもよい。ただし、教えを真に信じるのであれば、捨てることによって何事も失われはしないことをやがて知るだろう。この世には失われるものなど何一つなく、そのことを知ることですべてを得、取り戻すためにこそ我々は修行をする。

男はスーツケースを捨てることにする。

教団には優しい人たちがたくさんいた。修行も教団の維持のための作業も、男に喜びをもたらした。美しい女性もたくさんいたが、彼の心はもはや揺り動かされなかった。ただ、娘を失った原因が自分が住処に選んだ場所にあることはどうしても頭を離れなかった。

男は振り切るために、修行に打ち込んだ。教理によれば、最終的な覚醒を果たしたときには失われたものはすべて取り戻すことができるとされている。正確には、失われたものとあるもの、これから現れるものとの区別がなくなり、失われたか失われていないかの問いたて自体が無意味となる。娘との再会(無論日常言語の語彙で意味されるような再会ではなく、正しく意味を理解するには極めて込み入った内容の、膨大なテクストを読み解き、把握する必要がある。とはいっても、日常言語における再会の類義語の範囲を出るものではないとも言える)も可能であろうということだ。もっとも、教理には覚醒を果たした者はすでに再会など求めない精神様態になっていることも示唆されているのだが。

男の想像力は強靭で精緻であり、周囲の追随を許さない速度で、難解で抽象的な教義を吸収していった。

彼は脳内修行を重ね、脳内瞑想によって脳内魂を高次の次元にまで投射することに脳内成功する。

彼は脳内肉体を脱ぎ捨てて高次世界に脳内転生し、さらなる脳内高みを目指す。

多次元霊界を上り詰め、最高次霊界に至り男は目を開く。

するとどうだろう。

最高次霊界とは、ここのことではないか。

inserted by FC2 system